母の命日に想うこと

やはり母親は偉大だ
私はそんな母親にいつになれば
なれるのだろう・・・

今日は4回目の母の命日…
昨日は兄の家にある仏様の前でお寺さんにきてもらい祥月命日のお参りを済ませた

早いなぁ
自分の中では3年が過ぎたと思っていた
友達からのLINEでもう4年かぁと送られてきてえっ?うそ!って思った

いつの間にそんな月日が流れていたのだろう
まだ息子たちが学生の頃
一人で暮らしている母のところへ時々顔を見に行ったり 買い物に一緒に行ったりしていた

時間がある休日にはドライブをする事もあったが朝に家事をして夕方にはまた食事の準備などのため早めに帰宅
短い時間で母は少し残念そうだった

そんなにワガママを言う人ではなかったがきっと寂しかったのだろう
足腰が少し不自由になってからは仕事の帰りにも実家に寄る事が増えたが それも20分〜30分の滞在時間で『もうちょっとだけ』と帰るのを引き止められた事もあった

なんとなく家族に後ろめたい気持ちもあり 私は『も〜ムリやし〜』と若干後ろ髪を引かれつつも帰宅していた

車や自転車で移動する人ではなかったので歳を重ねる毎に電車で母の友人と出掛ける事は減ってきていた

あちらこちらに連れて行ってあげられるのは私しか居なかったのに 自分の今の生活リズムをなかなか崩す事が許せず 今思えば母にはかなり我慢をさせていたな、寂しい思いをさせていたなと反省する

母がどう感じていたのか今となっては知る由もない
生前も聞くのが怖かった

もう少し会いに来てと一度だけ言われた時 まだ息子たちが学生だったのであと5年待ってよと言った
もー5年も生きてへんわ!と母・・・
ごめんね、5年も待てなかったね

我慢ばかりの人生のように私には思えるが、母は幸せだったのだろうか
年老いてから特に最期の入院期間にはいつも何事にも感謝している様子だった

幸せだったのだろうと信じたい
そう思いながら今朝 お墓参りに行ってきた
墓前で手を合わせゆっくり気持ちを伝えてきた

そのお墓には父も眠っているのだが
父の時の私の気持ちは全て母が受け止めてくれていたからこんな後悔などは感じなかった

やはり母親は偉大だ
私はそんな母親にいつになれば
なれるのだろう・・・

母が私たちの幸せだけを願ってくれていたように 私も常に息子たちの幸せを願い一番の応援団でいるよと母に誓った

お母ちゃん、今も昔もこれからも
いつもありがとう

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